選択の自由の罠

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「自由になりたい」

「もっと自分の思い通りにできたらいいのに」

と思ったことはありますか?

「ある!」「常に思ってる!」と答えた人は多いのではないでしょうか。

自由とは、

他からの束縛を受けず、自分の思うままにふるまえること。(Oxford Languagesより)
  • 親に干渉されたくないから早く家を出たい。
  • 上司の言うことに従うことに疲れた、自分で思い通りに業務を進めたい。
  • 周りから求められるものばかりではなく、自分の作りたいものを自由に表現したい。
  • 自由にお金がつかえたらハイスペックのPCが買えるのに。
  • 仕事・家事・育児・地域のイベント参加などで、自由な時間がない。

などなど、時代や年齢を問わず、人は「自由」を求めて日々戦っているといっても過言ではありません。

また、「自由を手にする」とは、「選べるものが増える」と言い換えることもできます。

私たちは今、それぞれ制限され限られた選択肢の中で、自分なりの尺度をもって日々選択し続けているのです。

でも、もし「もうなんの制限もしないので、自由に生きてください」と言われたら、自分はどのような選択をすると思いますか?

本当にやりたいことに集中できる環境も時間も自由に手に入れることができるとなった時、大抵の人は自分の持つ尺度も幅広くなります。単純に時間もお金も気にせず選べるわけですから。

しかし、何もかも自由で無制限の中から選ぶということは、かなりの情報処理能力、情報選択能力を必要とします。自由だからこそ、自分にとって本当に必要なモノ、サービスであるのかを見極める力が必要なのです。

その見極める力をつけるには、今またはこれからの自分にとって必要であるかどうか、たとえ選択肢が無限であっても自分なりの尺度がブレないことが重要です。

今の時代、情報もモノも溢れかえっていて、ただでさえ選択することが非常に難しい状況にあります。

せっかく選択の自由があったとしても、選択する力=自分なりの尺度がなければその自由を享受できないのです。

そんな自由なんてまず手に入らないよ…

今そう思っていたとしても、自分なりの尺度を持っていれば

少なくとも

  • ネット広告のオススメに振り回されてつい無駄遣いしてしまう
  • ダラダラおすすめ動画を見たりSNSをスクロールして時間を無駄にする

ということは無くなります。

もちろん、全てが無駄というわけではありません。

流し見していたものをきっかけに、自分にとって大切なことに気づいたり、

思いがけない出会いがあることもありますから。

ただ、今の自分はどのようなことで困っているのか、これから自分が取り掛かる業務にどのようなことが必要になってくるのか、細かく条件を挙げたりイメージしたりして、少しずつ自分なりに尺度を決めていきましょう。

そうしていると、知らず知らずのうちに自分の軸が定まって

それが自身の唯一無二の特徴、生きるための武器となっていくのです。